諸福天満宮



由 緒
諸福天満宮は、一六四四(寛永二〇年)にこの地に勧請され、菅原道真公を祭神としている。
大東市には菅原神社がいくつかあるが、諸福天満宮も一八七二年(明治五年)に産土神社から菅原神社へと改められた。理由は不詳。
以後一〇〇年余り菅原神社と呼ばれていた。平成の修復で、菅原神社とか書かれていた額の板をめくると、天満宮の字が現れた。一七五二(宝暦二年)の作成になる菅原道真画像の掛軸を入れた箱の表にも「天満宮」の銘があることなどから、一九九九(平成十一年)一月一日をもって諸福天満宮に改称した。
本殿は江戸初期の権現造りで、桃山建築の雰囲気をよく残しており、平成の修復で元の鮮やかな色彩が蘇った。境内の石造物では、一六八二(天和二年)九月の石鳥居が最も古く、燈篭のうちでは一六九〇(元禄三年)九月が最も早いが、一七四五(延享二年)正月に奉納されたものには「河内国茨田郡諸福村五人組伊勢講中」とあって、この頃諸福に伊勢神宮の信仰集団でいていたことが知られる。
なお、末社に歯神社があり、歯痛によく効くといわれている。




歯神社
末社の歯神社は歯に良く効くとされている。






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